あれから1年が経ちました。
去年の今頃は何してたのか?
ぐちゃぐちゃになった家の中を片付けたり
配給に並んだり、井戸水を貰いに行ったり
そんな事をしていたと思います。
電気は2日後には復旧しましたが
水が出るまでには3週間ほど掛かったと思います。
配給は2時間ぐらい並んでも一人あたりパン2つしか
もらえなかったので、かろうじて在庫で営業してる
スーパーやコンビニの長い列に並んだっけ。
この辺りの震度は6弱〜6強で
東北地方よりもむしろ大きいぐらいでした。
最初の数日間はとにかく情報が乏しかった
TVでの報道は津波の被害が大きい東北地方と福島の原発に限られていました。
地元放送局のラジオを聴くにはカーラジオしかない
しかしガソリンが乏しいので、そんなしょっちゅうは聴いてられない
時々入る市の防災放送とご近所さんの口コミが頼りでした。
そしてやはり恐ろしかったのは放射能
ここは福島第一原発から100Kmぐらい
風向き次第ではヤバイんじゃないの?
日に日に状況が悪化する様を見て、最悪の事態の時はどうすれば良いのか?
遠くに逃げたくてもガソリンが手に入らないし...
政府や保安員の発表を信じても良いものか?
なんせ知識がない、おまけに敵は目に見えん
12年前の東海村のJCO臨界事故の時は「危ないから外に出るな」
とお達しがあったのは事故から数時間経った後
我が家まで直線距離で約7km
「遅すぎる」発表。信用できないのであります
やっぱり忘れちゃいけないよね
あの時の恐怖や不便な生活を。
1年経った今も変わらぬ日々を送っている人が居るって事を。。
1ヶ月ぶりに絵を描きました。
だいぶ感覚が鈍っている様で...
夏に行った阿字ヶ浦の海岸
毎年海水浴で賑わうところですが、人っ子一人居ませんでした。
『誰もいない海の家』
画板からはがす時、紙を破いてしまった(涙
posted by Baian at 15:52|
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30分スケッチ